今、6ヶ月を迎えて、ようやく自分にも赤ちゃんが
産めるのかな、って気持ちも落ち着いてきたので、
人生で1番辛くて悲しかった、あの時のことを
書こうと思います。
'07年5月に、3月にハネムーンで授かった我が子を、
稽留流産しました。
忘れもしない、5月14日。
待ちに待った3週間ぶりの検診

前回の来院では、小さな胎嚢がやっと見えただけ
だったので、「今日は心拍が確認できるかな

」と
楽しみに、そして不安に思って病院を訪れた。
30分ぐらいの待ち時間があり、ドキドキして
順番を待つ私。ようやく名前を呼ばれ、心臓は
もうバクバク。
しかし…。エコーで、赤ちゃんの心拍が確認できない。
赤ちゃんは15.3mm(8週3日の大きさ)まで大きく
なってるのに、心拍がない。
先生「・・・。これは…。大変ですねー。困ったな」
私「???」
先生「残念だけど、赤ちゃんの心拍がないですね。
ご家族の皆さんも、楽しみにされてたと思いますが…。
今日か明日にでも、旦那さんにも来てもらって
きちんと説明しましょう。」
私 ビックリしすぎて、悲しすぎて、何も言えなかった。
産院を出て、すぐ旦那様に

したけど、
仕事中らしく、通じない。仕方なく、「赤ちゃん、
だめでした」とメールを打った。
どうやって会計して、どうやってバス待って、
どうやって家に帰ってきたのか、分からない。
バスの中でも、降りた後も、こみあげてくる
涙をこらえてこらえて・・・

あのまま消えてしまいたかった。
私も一緒に、お空に行っちゃいたかった。
家に帰って、途端に号泣した。
その日は何も手につかず、一日中泣いてた。
次の日、旦那様と病院へ行って、説明を聞いた。
主に手術についてだったけど。
初期の流産は、染色体異常がほとんどで、
10人に1人がそうなるもの。
たまたま今回は運が悪かった、と言われた。
手術は18日の金曜日に決まった。
14日にちらっとエコーで診ただけで、流産と決まり、
私には納得がいかなかった。
だって、出血もなければ腹痛もない。
気のせいなのか、つわりらしきものだってちゃんと
ある。
旦那様に、泣きながら「まだ信じられない。
もう1度診てもらって、確かめないと気が済まない。
もし生きてたら!?」って訴えた。
旦那様は、それなら正直に先生にそう伝えるよう、
言ってくれた。
手術の前日に、子宮口を広げる綿を入れるために
また来院しなきゃいけなかった。
その時、「もう1度みたい」と言うつもりで
気をはって来院した。
でも、先生は、私から申し出る前に、「もう1度
みようね」と言って下さった。
で、やっぱり、駄目だった・・・。
前処置は、すごく痛かった。生理痛のひどいの、
という感じ

そして、5月18日、午前診が終了して誰もいない
病院に、来院。受付でインターホンで看護婦さんを
呼び出して、病室に案内してもらい、
着替えて、点滴。
それから手術室に点滴引きづったまま移動。
先生が現れ、「大丈夫!!すぐ終わるよー」と
柔らかい声で励ましてくれる。
点滴に麻酔を混ぜられ、気を失う。
目が覚めると、頭がくらくら。遠くで誰か
しゃべってる。看護婦さんかな?
私は、足が閉じられ、手術台の上に普通に
寝かされている。どうやら、終わったみたい。
また目を閉じたら眠ってしまった。
そして、何分か経って、起きたら、さっきの病室に
案内された。ふらふらしたので、支えられつつ、
自分で歩いて移動した。
病室で、旦那様のお迎えが来るまで寝て待たせて
もらった。
病院は、全個室だったから助かった。
妊婦さんや出産直後のママさんと同室なんて、
あの時の私には耐えられなったもの。
でも、ナースステーションの中の保育室では、
赤ちゃんの鳴き声がこだましてた。
元気な赤ちゃんの声。
私には産めなかった赤ちゃんの声が。
辛くて、また泣いた。
診察室に呼ばれ、経過観察された。
先生は、「ちゃんと除去できてるよ。
今回の流産は偶然で、運が悪かっただけだよ。
また妊娠できますよ」と言ってくれたけど、
当時の私には気休めにしか聞こえなかった。
夕方、旦那さんが迎えに来てくれて、
二人でお家に帰った。もう、私のお腹には
赤ちゃんはいなかった。
手術の次の日も、消毒と、子宮の回復具合を
見るために、病院に行かなければならなかった。
土曜日だったので、すごく混んでいて、しかも
旦那連れの妊婦さんが多かった。
私は、一人ぼっち。お腹に赤ちゃんももういない。
旦那様はその日から海外出張だったのだ。
そのうちの1組の夫婦が、本当にうざかった。
どうやら、彼女はその日から母子手帳を利用しての
妊婦検診になり、エコーには無事、赤ちゃんの手足も
写るぐらいまでなったようだった。
診察室から「キャーキャー」言いながら出てきて、
旦那と嬉しそうにエコー写真を見て、「可愛い!!」
と言って笑っていた。
隣りに昨日赤ちゃんを処置しなければならなかった
人がいるのに。。。
殺したいほど、憎いと思ってしまった。
この二人の残像は、いつまでも消えなかった。
悔しかった。
赤ちゃんを失ってからというもの、私は、
赤ちゃん・妊婦・子連れ恐怖症に陥った。
TVでオムツのCMを観るのも嫌、電車やバスに
子連れや妊婦がいれば、避けて通った。
睨みつけながら・・。
堀ちえみのように子供の自慢ばかりするタレントが
大嫌いになった。
今思えば、半分、精神病だったかもしれないな。
「生理を2回か3回みたら、また妊娠していいよ」
と先生が言ったので、私はその日を今か今かと
待ち、出きる事、思いつくことを全てやった。
基礎体温を計り、排卵検査薬を買い、
毎日マカと葉酸を飲み、
子授け神社にお参りに行き、
木村さんを待ち受けにし(旦那様にもさせた笑)、
毎晩、神様と亡くなったおじいちゃまにお祈りを
してお願いをした。
そして…

2回の生理を待って、その後、
今に至るまで、生理を見ていない。
そう、再び妊娠できたの

最短期間で、お空に帰った赤ちゃんが、
ママのお腹にまた戻ってきてくれた

ママがあんまり悲しむから、すぐに戻ってきて
くれたのかな。
おじいちゃまが、天国で、「ママのところに帰って
あげて」って言ってくれたのかな。
とにかく、こんなに嬉しいことはなかった

流産した時のあの悲しみが、さらに嬉しさを
増してくれた。
もう、絶対失うものか、と思った。
どこのお母さんより、誰より、妊娠を喜んだと
思うし、赤ちゃんを大切に思っていると自信を
もって言える。
そう言えるのは、あの経験があったっからこそ。
あんな悲しい経験だったけど、
私にとって、すごく勉強になり、ためになった。
人間として、成長させてくれた。
人の痛みが解るようになれた。
そして、家族の温かさも解った。
旦那様は、私を責めたりしなかった。
義母も、義父も、心から同情してくれ、
励ましてくれた。嫌味のひとつも言わずに。
母は、旦那様の海外出張中、東京から
飛んできてくれ、ずっと私の世話をしてくれた。
何も言わず、何も聞かずにいてくれた。
本当に、いい家族を持って幸せだと思えた。
6ヶ月に入った今。
勿論、まったく心配がないわけじゃない。
6ヶ月だけど、死産するかもしれない。
不育症かもしれない。
日々、心配しまくってる。
でも、赤ちゃんと神様を信じてる。
きっと、大丈夫。
駄目だった時のエコー。今思えば、人間の形してないな・・。↓↓↓↓

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